「日韓交流 若者へのメッセージ」第7回 大竹洋子さん

「一人前の人間になるには」

大竹洋子


 日韓文化交流基金から役員代表訪韓団のお話を頂いたのは2001年、靖国神社や歴史教科書問題のあった年でした。百聞は一見に如かず、様々なことを学んだ19回の訪問の中で、常に甦る言葉があります。「人生には照る日も曇る日もあります。しかし私たちは黙々として韓日交流の道を歩いていくのです。若者の背中を押してゆくのです」(韓日文化交流基金・具滋暻(ク・ジャギョン)元会長)。本当にいろいろなことがあった歳月でした。両国はいつも揺れ動いていました。しかし政治動向に惑わされることなく、わが道を貫き通した日韓・韓日文化交流基金の歩みでした。

 スムーズにゆかない年もある、止むことのない両者のすれ違い、どのような場合でも、謙虚に誠実に注意をはらわないと、未解決な歴史のなかに住む何かが頭を持ち上げてくる。映画人である私は世界の多くの国の映画を上映することによって、同じような経験を何度も繰り返してきました。西アフリカ・セネガルのウスマン・センベーヌさんは、黒人アフリカを代表する映画監督ですが、今は亡きセンベーヌさんの言葉も忘れたことはありません。「一人前の人間になるには他の生活を無断で利用せず、また許してはならず、されるままになってもいけない」。センベーヌ
さんの「チェド」(抵抗者の意)が日本で上映された時のことです。まるでギリシャ悲劇のようだと称賛した高名な映画評論家に対して、「どうして私の作品がギリシャ悲劇なのですか。ギリシャは我々を最初に奴隷にした国ですよ」とセンベーヌさんは言われたのです。目から鱗が落ちるとはこういうことなのだ、知らず知らずに既成概念が身についてしまっていたことに、私は深く反省したものでした。
 もう一人、不世出の日本の女優・山本安英さんは「日常生活を鍛えて想像力を豊かにね」と教えてくださいました。演劇「夕づる」は木下順二さんが山本さんのために書きおろした名作です。つうの役を一千回以上も演じ続け、100歳を超えてもなおご自分を鍛え抜き、他の誰も真似ることができなかった山本先生の信念もまた私の大切な宝ものです。

 両国の若者たちがすくすくと育つ姿を信じて、40年近くも前からこの運動に取り組んだ基金の先達の方々の献身に、どうか想いを馳せてください。そして昨年も、変わらぬ真摯で丁寧な鮫島章男会長のご挨拶に、胸が苦しくなるような両国のさなかで、私たちが心を傾けるのは“文化の交流”なのですね、と応えられた李洪九(イ・ホング)会長(現顧問)。青少年の皆さんの交流が互いに切磋琢磨しながら、隣人同士の優しさや温かさに満ちたものでありますようにと願う毎日です。

*日韓文化交流基金が1984年より毎年一回派遣している財団役員ならびに国内の文化・芸術関係者からなる訪韓団。2019年までに35回実施。

おおたけ ようこ
映画エッセイスト、元東京国際女性映画祭ディレクター
世界の名画を発掘し上映することで知られる「岩波ホール」(東京・神保町)で企画室長として運営に携わる。また27年にわたり東京国際女性映画祭ディレクターを務める。日本映画ペンクラブ会員、日韓文化交流基金評議員。山路ふみ子映画功労賞(2008年)、ポーランド文化功労勲章(2013年)。