職員からの「交流エピソード」(2) 李秀賢さんの足跡を訪ねて―韓国大学生訪日団

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 2019年9月に実施した韓国大学生訪日団は東京都内滞在中、李秀賢(イ・スヒョン)さんの足跡をたどるべく、当時、秀賢さんが通っていた赤門会日本語学校を訪問し、同校の新井時賛理事長と特定非営利活動法人LSHアジア奨学会の有我明則事務局長からお話を伺いました。

(李秀賢さんのこと、LSHアジア奨学会のことについては、「職員からの「交流エピソード」(1)」をご覧ください。)

 学校に到着後、校舎前にある李秀賢さん追悼の碑に献花し黙祷を捧げた後、赤門会日本語学校の新井理事長からお話を伺いました。
 「韓国と日本の架け橋になりたい」と同校で学んでいた秀賢さんは1年間の語学コースが終わることから、さらに日本で勉強を続けたいとビザの延長手続きをしていた時期に事故に遭遇しました。当時の秀賢さんを知る新井理事長が聞いた話によると、事故の直前、電車の運転手は秀賢さんらが線路上にいるのに気づき、警笛と共にブレーキをかけた際、衝突するまでに7秒あったそうですが、衝突した時の様子から秀賢さんらが逃げようとした形跡はなく、最後まで線路に落ちた人を助けようとしていたようだとのことでした。
 事故後、警察から連絡を受け、最初に秀賢さんの身元確認をしたのは新井理事長だったそうです。

 この悲しい事件は当時、日韓両国で大きく報道され、犠牲になった秀賢さんのご両親の元にはたくさんの見舞金が寄せらせました。御両親はこの見舞金を、秀賢さんと同じく母国と日本の架け橋になろうと日本語を学ぶ、アジア諸国からの語学留学生を対象に経済面で支援するために使ってほしいとして、全額を赤門会日本語学校に寄付されました。

 そして事故から1年後の2002年1月26日に、この寄付をもとに李秀賢顕彰奨学会が発足。改組の後、現在のLSHアジア奨学会が設立されました。
 「2002年の設立からこれまでの間で、18ヵ国897名の留学生に奨学金を授与してきました。」と、有我事務局長は李秀賢さんの遺志を継ぐべく多くの外国人留学生たちを支援してきたことを紹介してくださいました。

 訪問した団員たちにとって、当時のことは自分たちが生まれて間もない頃、もしくは生まれる直前くらいの、ずいぶん昔の話なのですが、むしろその時間の長さほどに、悲しい出来事を悲しいだけに終わらせず、故人の意を引き継ごうとする人々の思いを印象付けたのではないか。団員たちの様子を見ていて、そんな感じを受けました。

(冒頭の写真)新井理事長の話を聴く大学生訪日団一行